2015/12/28

2015年

2015年がもうすぐ終わる。

【音楽】
・KONCOS”KITSUNE NO KUNI feat. PANORAMA FAMILY” 7inchレコード発売
・MINMI "いていたいよ featuring PANORAMA FAMILY & CUBISMO GRAFICO 
  Produced by 松田 “CHABE” 岳士" 収録アルバム発売
・バクラバ"SUMMER gal'15(feat.PANORAMA FAMILY&清水大輔)"iTunes配信発売
・JONJON GREEN 「Paint for Life」 映像用楽曲提供

 【写真】
・kit galleryにて個展「I don't seek, Find.」開催
・吉祥寺argument galleryにてグループ展「new gig」に参加
・UCCコーヒー会員サイトDRIPPARにて写真連載開始




今年は2月に初めての写真の個展をやらせて頂いたり、グループ展に参加させてもらったり、UCCコーヒーのWeb連載が始まったりと、写真が充実した年だった。

もちろん、音楽も沢山ライブをさせてもらったり、MBとVIENDAで仙台や水戸にツアーに行ったり、feat.で3曲音源が世に出たりした。レコードとCDと配信の3パターン。
自分のアルバム制作も順調に進んだし、夏以降は自分のライブのやり方や、向き合い方をすごく考えさせられたり、それに対しての、なんとなくだけれど今のところの答えも出た。

プライベートも10年ほど住んだ中野区から引っ越したり、色々と状況が変わって毎日が一瞬に感じる。やっと少し慣れてきた。夏の終わり頃にはずっと憧れていたスケートボーダーMIKE VALLELYに会えて写真も撮れて、アルバムに入れるシャウトまで録音させてもらった。続けてれば、大変なことだってあるけど、良いことだっていっぱいある。

来年もいい年になるはずだ。


2015年12月末日
PANORAMA FAMILY

2015/12/24

The Flaming Lips

フレーミングリップスの存在は10代のころから知っていたし、"YOSHIMI〜"のジャケットはいろんなときに目にした気がする。敢えて避けてきたわけでもなく、なんとなく聴かないでいた一枚の中のひとつだ。ちょうど、ニールヤングのアフターザゴールドラッシュとハーヴェスト以外のアルバム、ボブディランの微妙なアルバム、みたいな感じで、タイミングが合えばそのうち聴こうと思ってきた一枚だ。

自分が10代の頃はいわゆるロックが魅力的には思えず、海外のブラックミュージックや、パンクに夢中だったのもあって、今までこういう音楽を聴いてこなかった。2015年の下半期に突然興味を持って聴き出したのでとても楽しいということは前にもブログに書いた。

この数日間はフレーミングリップスしか聴いていない。聴いていると映画の中に居るような感覚になる。そして、これを聴くと曲を作りたくなる。次のアルバムはどんどん不思議な方向に向かっている気がする。

2015/12/23

HIGH

疲れたときは休まなきゃと思っても、何かしないと不安になったりする。かと言ってそういうときに作ったものは大抵良い出来ではない。でも、それが、突然別の日に素材となって使えることもあるので、やっぱりサボらずにやるしかないのだ。

LIFE NOTEというアルバムに入っているHIGHという曲のループはボツにした曲の素材だ。元々はBPM125くらいの早いテンポのファンクっぽいビートで作ったものを、75くらいにテンポをかなり落として音質も劣化させたものを使った。

トラックだけじゃない。人生だって多分同じだ。何がどこに繋がるかなんてわからない。打算的に無駄だとか、こんなの意味ないとか、合理性ばかりを気にしていたら、これまでに繋がれなかったものなんて沢山あるのだ。しかもそういう繋がりはすごく大事ことを運んできたりもする。

今日作ったビートは今ひとつな気もするけど、もしかしたらまた他の日に何かに化けるかもしれない。とにかくサボらずに動く、とにかくサボらずに手を動かし続けることが重要な気がする。

2015/12/18

ピアノ

子どものときに姉がピアノを習っていたので、家にはピアノがあった。だけど、オレが触ると怒られるし、どちらかというと外で体を動かす遊びが好きだったのであまり触ったことはなかった。それに、子どもの頃はなんとなく女の子の楽器という感じがして興味がわかなかった。

日本人は他の国々にくらべて、やけにピアノの音とフェンダーローズのような電子ピアノの音が好きだという。一昔前に大流行したジャズとはずいぶん違うJazzy HIPHOPというもののほとんどが、単純にピアノかフェンダーローズでループを作ったHIPHOPという感じだったけど、あの類の音が日本人には響きやすいのだという話をどこかで耳にした。

ギターでコード理論を学んだので、ベースは弾けるけど、鍵盤はあまり上手く弾けない。コードを押さえるくらいしかできない。今まではそれで問題無かったし、日本人が好むとか聴いたらなんだか反発したくなってしまっていた。

でも、ピアノやローズへの憧れはなぜか漠然とあった。多分学生時代にセッションしてくれた先輩がかっこよかったからだ。それまでに出会ったたいていの鍵盤を弾く人は、育ちが良く、クラシックピアノを好み、吹奏楽部で演奏し、もっさりした服装で、いわゆるストリート感がない感じの人が多かった。でも、その先輩はその真逆で、めちゃくちゃ格好良かった。あんな風にピアノを弾けたらなぁとよく思う。

今回のアルバムにはどうしてもピアノの音が欲しかったので、初夏から夏にかけて録音した。自分の好きなお友達のピアニスト2人に演奏をお願いした。一人はどちらかというと理論的なピアニストでポップスのシーンで活動してきた人、もう一人はコードのことを一切知らない、どちらかというとパンクシーンで活動してきた人。どちらのピアノも素晴らしいし、色が違って好きだ。

とにかく次のアルバムには、ピアノをループではなく曲の頭からおしりまで通しで録音したものが2曲入る予定だ。

2015/12/17

コーヒーと美女第3回

今月のUCCコーヒー会員サイトDRIPARの連載、
コーヒーと美女第3回、公開になりました!
https://www.dripar.jp/pc/#item825view
 







歪み

パンクやハードコアばかり聴いてきて、ギターは歪んでなんぼでしょと思っていたはずが、高校生の途中でブラックミュージックが好きになってからは、ギターの音はクリーンが好きになった。

コーラスも好きじゃないし、ディストーション、オーバードライブ、FUZZとかごちゃごちゃしててもってのほか。
アンプ直でリーバーブのみかける。もしくはワウのみ。そういう風にギターを弾いてきた。
Wes MontgomeryのFULL HOUSEというライブ盤や、JBの in the jungle grooveとか、マリーナ・ショウの歌うfeel like making love、マービン・ゲイ、ダニー・ハサウェイとか、多くのFREE SOULの盤に聞こえるような、そういうギターが好きになってからはエフェクターへの興味はまるでなくなっていった。

いや、むしろディストーションギターがあると聞いていられないみたいな時期もあった。
アイズレー・ブラザーズのサマーブリーズのギターとかでさえ、うっとうしいと思ったりしたこともあった。

それが突然、歪んだギターが嫌いではなくなった。ほんとに突然。
理由は単純で、今回のアルバムにはギターを沢山入れてみようと思ったからだった。

最初はフルアコでワウとクリーンのみでギターを弾いていた。それが、たまたまギターを倒してしまいネックがポキッと折れてしまった。しかたなく、少し前にたまたま中古楽器店でビビっと来て衝動買いしたFender Mexののストラトを弾くと、シングルコイルの線の細さが気になる。それで、エフェクターを試し始めることになった。家にあるほとんど唯一の高校生の頃に買ったPROCOのRATというディストーションを繋ぐと、ちょっと求める音に近づいた。そのあたりから歪んだギターも急激に好きになった。

そうなると昔は毛嫌いしていた歪んだギターのロックもずいぶん聴くようになってくる。むしろ新鮮に感じる。そんなことがあって、今は90年代の踊れないようなロックばかりを聴いている。

そして、アルバムのトラックには歪んだギターが多く入ることになった。

2015/12/16

『SNAP&POINT&SHOOT』

もうすぐ、写真を撮り始めて2年になる。

まさか、個展をひらいたり、プリントを買ってもらったり、写真の連載が始まるなんて思いもしなかった。運が良かったし、周りの人に恵まれている。

写真を撮り始めた理由は、個展をやらせてもらったときのステイトメントに書いてあるので、ここには書かない。

最初は自分が好きなフィルムをみつけたいと思って片っ端から試していった。安いものから髙いものまで買いまくったけど、結局気に入ったのは一番安いフィルム。高いフィルムよりも、いかにも"フィルム"って感じがしてとても好きだ。高いフィルムはデジタルに近づく感じがする。

次にやったのは、知り合いのフォトグラファーにかっこいい写真家、オレが好みそうな写真家を教えてもらいメモして、そのメモをたよりに当時まだ開いていた恵比寿の写真図書館で一日中見てみるということだった。ほとんどかっこいいと思えるものは少なかった。

結局、いろいろ見て手元に欲しいと思ったのは3冊だけ。
OFWGKTAの『GOLF WANG』
荒木経惟の『陽子』
nick zinnerの『I Hope You Are All Happy Now』

この3冊は何も知らない自分にもかっこいいと思えた。しかも普通に買える値段だった。


写真を撮ることは楽しい。記憶を焼き付けていくようで、構図とかにその時の気持ちが乗る気もする。「オレならこうやるのに」って思うことをひたすら黙々と撮影しているだけだから、写真の歴史を知っているわけでもないし、有名な写真集を知っているわけでも、持っているわけでもない。
それでも、撮り続けていると色々なことに気がつく。
自分の好きな光、場所、色、人、もの。自分では写真を撮らないくせに、「フィルムじゃお金がかかるでしょ?」ということばをやたら言ってくる人も多いことにも気がついた。また、写真ではなくカメラ自体が好きな人もいるのだと気づいた。(こういう人は90年代だったら、コーディネートではなく、ジーパンのみにだけ凝ってた人なのかもと思ったりもした)

思ったより、自分の周りには昔写真をやっていたという人が多いことも分かった。そういう人は色々教えてくれてやさしい。たまに古い期限切れのフィルムをくれたりする。
それから、「写真にはストーリーがある」とかよく言われることけど、実際は「写っているものとは違うストーリー」も鮮やかにその場所にあったということに気づかされる。あたりまえだけど写真はその一部だと思った。


それで、そういう写真の曲を作ってみようと思った。
『SNAP&POINT&SHOOT』というタイトルにした。

2015/12/15

違い

中学生で音楽を作り始めたとき、まず思ったのは「おれだったらこうするのに」を形にすることだった。
音楽を作るのは既存にあるものとは違うものをつくりたいという欲求をみたすためだった。
「ギターソロは難しいし、調子乗ってる感じがダサイから要らない」とか、「長い曲はだるいから出来る限り短い曲にする」、「途中の余計な展開とかなくす」みたいにして、自分が聴きたい自分だけが喜ぶものをつくろうとした。

いまでは、多少聴く人のことを考えたりもするけれど、結局はこの中学生のときの思考が根深くある。それに、みんなと同じものをつくってもしょうがないという思いもある。
結局オリジナルであることがかっこいいと思ってしまうのだ。でも、オリジナルを目指そうとすると、似たようなものをつくる仲間が少なくなるので、いわゆる「シーン」というものが出来にくいし、ハマる居場所がなくなる。

音楽をやるなら、限りなく誰かと似ているものを作った方がDJも掛けやすい。偶然にアウトプットが似てしまうことは仕方ないけれど、マネをしたくはない。

「○○のプロデューサーはこの機材使ってるから同じ物を使う」みたいな思考はうんざりだ。どうせなら人と違う機材を使いたい。天の邪鬼といえばそういうことだけど、人と似ているものをつくって評価されても、自分にとってはしょうがないものだと思ってしまう。


そんな風にして、 demoアルバム『FAMILY ALBUM』は当時流行していたHIPHOPとは真逆のアプローチで作った。シリアスなムードのリリックだったりボースティングだったり、愛やありがとうを歌詞にするのではなく、スラングを使わず、POPでふざけた馬鹿な歌詞のみを使ったコミカルなものだった。

インディーズ最初の全国流通demoアルバムの『SCAMPER TOKYO』はPUNKの要素とJAZZの要素をHIPHOPで表現しようとした。機材はMPCもプロツールスも使っていない。3000円で中古で買ったZOOMのサンプラーとギターとベースとキーボードのみだ。

1stアルバム『MELLOW SUMMIT』は震災のときに作った。ほとんどMPC500で作った。なぜならMPCシリーズでも一番人気が無く使いにくいし、ググっても使い方などまるで見つからなかったからだ。ギターでもベースでもキーボードでも、ほとんどMPCに録音してほとんどこの1台のみで作った。MPC500っていう人気のないダメな機種という価値観に反抗したかった。


2ndアルバム『LIFE NOTE』のときはいつまでたっても90s思考の小箱シーンに嫌気が差していた。なんで20年以上もまえの音楽だけが最高で、現行のものはだめなのだ?という疑問だ。倍速と言われるビート感は今では凄く当たり前だけれど、全くもって倍速のおもしろさに気づいていた人は少なく光る波とHIGHとMUSIC MUSICとPARTY MUSIC、LALALAいう曲を作った。

いつも周りと違うものを作ろうとしてきた。シーンからはどんどん浮いていく。でもそれでいいのかもと思う。とにかく右向け右が嫌いなのだ。

それで、今つくっているものはどうかというと、「他の人と違うものをつくりたいという欲求」に反抗して作っている。自分の体に素直に響く物を作っている。人と違うとか、オリジナリティーとかにこだわりすぎるのも、なんだかくだらない気がしてきたのかも知れない。もしかしたら、これは虚無感にも似ているかも知れない。とにかく今は体の力を抜いてリラックスして作りたい。それでどういうものができるのかが自分でも楽しみだ。

そして、最近続けて長めのブログを書いているのも、「SNSの時代にブログとか熱いこと書いてダサイよね」「メンヘラとか中2の長文とかくだらねえ」という考えに反抗しているからだ。

2015/12/14

DVD

夏に引っ越してから、家の割と近所にTSUTAYAがあるので、一週間に5枚のペースでレンタルしてはDVDで映画を観ている。

劇場で見逃したけど、気になった作品や、検索して面白そうだとメモしたもの、店頭でジャケとタイトルを見たり、ポップを見て気になったもの、名作と呼ばれるもの、話題作、昔みたけど、内容はまったく覚えていないものなどを適当に5本。5本で1080円なので、3本とか借りるなら5本でも値段がさほど違わないので、大抵は5本借りるという訳だ。

自分が曲を作っているときは大抵、映像をイメージして作っているので、映画を観るのは曲作りに直接的に影響をもたらす。それが嫌でまったく観ないときもあるのだけど、今は影響されたい時期なのか、沢山のDVDを観ている。ときどきはiPhoneにメモしたりしながら。

学生のころ住んでいた街にはレンタルビデオ屋が駅のすぐそばに2つあったので、顧客争奪を競い合って値下げのし合いが始まったようで、その2店はいつでもレンタルが100円だった。
だから、毎日レンタルしては映画を観ていた。ヌーヴェル・バーグなんかのこ洒落た作品はバカにしつつも楽しくこの時期にあらかた観てしまったし、少し古めの不朽の名作などもこの時期にたくさん観た。それでも、全然観ていない作品もジャンルも多くあるから、まだまだ映画を観る楽しさは消えないし、全然飽きない。


映画を観ていてよく考えるのは、制作総額1億円のものが低予算と表記されるくらい、凄い額の金額をかけて作ったものが、劇場だと2000円ほど、レンタルで300円程度で観られるということだ。しかも凄い人数の人が凄く手間暇をかけて、アイディアをひねり出したものがだ。安すぎると思ってしまう。
あ、でも、それを言出すと、どんなジャンルのものでも同じことが言えるかも知れない。音楽も服もサービスも。コンビニなんて24時間も営業してる。でも値段は他と一緒。そもそも値段ってそう言う物なのかも知れない。


とにかく、今制作中のアルバムは映画の影響が大いにある。
映画は楽しい。



ミックス

2015/12/10の夜はゲストボーカルのプリプロ録音をしていた。

次のアルバムは原点回帰ではないけれど、色んなジャンルが交錯するようなものにしたいと思っていて、なるべく自分以外のミュージシャンに参加してもらっている。

プリプロ、つまり本番のレコーディングの前に、具体的にどうレコーディングをするかの下書きみたいなものなので、自分の声は自分の部屋の簡易スタジオで事足りる。けれど、ゲストのボーカルを録るには、引っ越したばかりの雑然とした我が家では難しい。

ということで、最近独立してフリーランスになった友人のミュージシャン元WEEKENDの泉水くんがこれまた友人のデザイナー高村くんらとシェアしている水道橋の事務所でプリプロをさせてもらった。

水道橋駅に着くと小雨が降り出していて、少し早足で簡単な世間話をしつつ我々は事務所へ向かった。事務所はとても素敵な内装で、ところどころDIYしたと思われる木製のテーブルや棚があった。棚には現在では貴重な写真集があったり、懐かしい雑誌、何かの撮影で使ったのかシマウマのかぶり物などが置いてある。

早速、ゲストに仮のメロディを歌ってもらい、それを聞きながら歌詞を考えていくことにした。

この曲のコンセプトは「ミックスすることがなぜ悪いの?」というものだ。
その音楽やアート、宗教、食事、ファッションなど、どんなジャンルのものでも、良くあることだけど、陶酔するほどそのものごとが好きになると、排他的になったり、ある種のナショナリズムを生み出す。例えば、「こんなのHIPHOPじゃない」とか「こんなのパンクじゃない」「こんなのアートじゃない」「あの考え方は間違っている、このやりかたこそが正しいのに」とかいう類のものだ。

大体、大抵の物は何かと何かが混じり合って出来ているのが普通だと思うし、我々が生きていくのに必要な水ですら元素記号はHが2つとOが1つ混じって出来ているじゃないか。
などということを最近は思わされることが増えたのでそういう曲を作りたくなった。

「あいつHIPHOPなのにズボンが細い、太めじゃなきゃオカシイでしょ」などと宣っていた輩はいつの間にかアメリカのHIPHOPの流行と共にスキニーを履くようになったり、いや、そうゆう奴ほどあっさりポリシーとかいう意味のない物をむやみに主張しては、流行にあっさり乗っかり、また自分と違う奴を罵る。本当にくだらないと思う。

少し前に観たグザヴィエ・ドランの『Mommy』という映画で自閉症の主人公に母親が「着ているものが違うだけで中身はみんな一緒」というセリフがあったのを観たときに、この曲は生まれた。そういう曲だ。

だからどうしても誰か別ジャンルで活動するミュージシャンとコラボしてみたかった。それで日本ではハーフと表されるミックスの友人にお願いした。

彼は素晴らしい歌詞と曲を吹き込んでくれた。
そして、スカパンクで良くあるコーラスををバウンスしたHIPHOPビートに混ぜるというオレのアイディアを受け入れてくれて、最高のパフォーマンスをみせてくれた。

良いものが出来たと思う。
本番の録音が待ち遠しい。
その夜は偶然にも皆Dr.Martensを履いていた。

2015/12/09

British Outdoors



昨晩引っ越してきた街の古着屋さんに行ってきた。
長い商店街の脇道にあるお店。
何度かそのあたりを通ったけど、一度しか見てないから、そこに古着屋さんなんて無くて、この場所にあった気がするだけで、思い込みだったのかと思っていたのだけれど、昨晩は手描きの看板まであって、確かにその場所にその古着屋さんは存在していた。

折角だから入ってみようと思って入ってみることにした。
北国ではもう雪が降っているとメールで聞いたけど、2015年12月の東京もだいぶ寒くなってきたので、今年は何か暖かいコートでも欲しいと思っていたし、何かあればいいなぁと淡い期待のみを持ってドアの向こうへ。

中には50後半から60歳前後のおじさんが居て、左側が男性もの、右側が女性ものという一目瞭然のことを丁寧に教えてくれた。
愛想笑いと会釈もそこそこに奥のアウターコーナーを物色すると、紺色の少し大きめの濃紺のウールのシンプルなコートがあった。これ結構いいなぁと思ったけど、フリースやらダウンやらヒートテックに慣れきった現在人には、すこしだけずっしりときて重い気がしてハンガーを取ることもなく、ずらしてみただけで元の場所に戻す。

結局、そのコート意外には欲しい物が見つからず、店を出ようとしたときにお店のおじさんが話しかけてきた。
「うちにくるの初めてだよね?」

そこからおじさんがどこに住んでるとか、出身とか、他の店もやってて、この店は夜7時以降しかあけない道楽みたいな店だとか、東北が好きだとか。仙台に行ったらグリーンホテルの朝のビュッフェが楽しみだとか、もうすぐ年金暮らしだとか、30分くらい話し込んだ。というか一方的に話を聞かされていた。でも、年も年だし、何だかかわいらしい感じのおじさんで、全く憎めないし好感を持った。

でも、30分も話を一方的に聞かされて、そのまま帰るのも何だかしゃくだなぁと思い、例の濃紺のウールのコートを着させてもらうことにした。どうせ重いから買わないけどと思いながら袖を通した。

すると、不思議とそんなに重くないし、とても暖かい。鏡で見てもサイズもちょうどいい。今風の腕周りが細かったりしない、昔ながらの普通のコート。タグにはmade in Englandと書いてあった。60年代のものだそう。

で、またおじさんの話が始まり、今度はこの辺に住んでるならあそこのスーパーが夜1時まで開いてるとか、服とは一切関係のない話が始まってしまった。


で、そのコートは今、我が家にある。
おまけに頂いた、クリスマスのアメリカ製のグリーディングカード、とカナダ製のレザーの小物入れと一緒に。

今年はこれをたくさん着ようと思う。




2015/12/03

2015.12.05.mon

2015.12.05.mon

shimokitazawa THREE 

6th ANNIVERSARY Block Party 

-midnight-

 
<LIVE> 
GORO GOLO / Magic, Drums & Love / TENDOUJI / PANORAMA FAMILY / RANKIN TAXI / and more
 

<DJ> 
TOMMY (BOY) / VIENDA! Sextet! / その他(itsuki + ban)

2015/12/01

2015.12.1(Tue)

2015.12.1(Tue)
渋谷オルガンバーにて2015年ラストのMIXX BEAUTY!
ゲストもアツいです。
お気軽に遊びに入らしてください。
宜しくお願いします。


23時から〜朝まで。